amphibianです 画像つくるじかんないのでむかしののつかいまわしです
くそいそがしいのですが 不意をうたれ13日の金曜日であってしまったので やくそくしてたやつをやります
恐怖とはなにか
レイジングループ書いてる間や書いたあと これをより考えるようになりました
ゲームつくるひととしてこれからも『怖いもの』は作っていきたいですし それをただの『障害』にはしたくない
しかし実際問題 何がみなさんを怖がらせるんでしょうか
両生類の自論として 「夜中トイレに行けなくなる」という感覚はとても良い恐怖の発露であり これを目指したいと思っているのです でもすごく難しいです
たまにトガビトとかでもそう言って下さるかたがおられますが なにがこわかったんだろう…… 暗闇にひそむ彩音かな
恐怖というものは 一義的には命の危険に際して発生するものかと思いますが 実はこれ ズレているとおもいます
もしそうなら 恐怖はリアルな命の危機を感じさせればさせるほど強まるはず
たとえばあなたの部屋の暗闇の中に手負いのマウンテンゴリラが潜んでいるとします
これはとんでもない恐怖ですよ 相手はいとも簡単に四肢をもぎ頭を握りつぶすことのできる猛獣です
こわいですか
こわくないのですか
なぜなのでしょう 少なくともあなたの部屋の暗闇の中にオバケが潜んでいる確率(0%)よりはまだ手負いのマウンテンゴリラが潜んでいる可能性のほうが高いというのに
じつのところ みんなオバケが潜んでいる確率よりも 手負いのマウンテンゴリラが潜んでいる確率のほうがひくいと 感覚的にはおもっているんじゃないでしょうか
さらにいえば オバケよりも 手負いのマウンテンゴリラよりも あなたの部屋の暗闇のなかに1匹以上のゴキブリが潜んでいるという事実のほうが怖いこともありそうな気がします
いったん 考えられるパラメータ全部を突っ込んで いったん仮説をたてます
恐怖の強さ = R(その人の信じるリスク発生率) × D(リスクによる被害規模) × H(リスクへの忌避感の強さ) ÷ L(リスクからの距離)
発生率については 実際にそれが起きやすいか起きにくいかは関係なく その人にとって実際にありそうだと思えるか 経験上どちらのほうが起きそうかに起因する
信心深くてゴキブリが嫌いなひとは R×Dの値が結果的にたかくなるのです ユーレイの出現率が0.001%でも被害が100000とかそういう
んー
書いていてなにか違和感をおぼえました
人間が暗闇に対する恐怖をかんじているとき 本当にリスクの発生率を数値的に比較して 恐怖におちいっているのか?
ちょっとちがう気がします
実際に起きるかどうかは関係ないか
あるいはじつは 確率がゼロに近いほど恐怖が増すようなフォーミュラになっているのでは
つまり発生率ゼロである幽霊出現などのケースを分母に置くと式がゼロ除算でバグってパニックに陥る これが恐怖の正体なのでは
ロジックを弄する前に いったん感覚と経験にたちもどりましょう 自然科学の原点です
さっきかきました 「恐怖というものは 一義的には命の危険に際して発生するものかと思います」
じつは恐怖には2種類ありますね
ひとつは「目の前にあるものに対する恐怖」 ひとつは「心の中にあるものに対する恐怖」
「目の前にあるものに対する恐怖」こそ この「命の危険に際して発生する」ものでしょう
あと一歩進めば自分が死ぬ あるいは危険な状態になる
認知したものをそのような判断に誘導し、回避行動を誘発するためのメカニズム これを直接的恐怖とかりによびましょう
これについてはさっきの式がだいたい使えると思います。
恐怖の強さ = D(リスクによる被害規模) × H(リスクへの忌避感の強さ) ÷ L(リスクからの距離)
ゴキブリがいたとして、そのリスクとは不潔さ および 気付かないうちに異物がプライベートエリアに侵入することへの本能的警戒感ではないかと思います
体を這い回られるとか 誤食するとかいったこともかんがえられるわけで
去年寝てたらゴキブリがパンツに侵入しパニックにおちいった両生類がいうんだからまちがいない
ちなみにゴキブリは言われるほど不潔ではなく人間に対してはほぼ無害だといいますね 昆虫愛好家や研究者はその不遇をしばしば嘆いているようです 人間は「キモいから殺す」という残忍な思考回路を有している そのことをふかくかえりみて ひとはそのこころを同胞にむけることなくつつましくいきるべきです 両生類はキモいからゴキブリはころしますが 股間にはいってくるし
おそらく皆さんの目の前に 手負いのマウンテンゴリラが出てきたならば その恐怖はゴキブリの比ではない
しかしながら「心の中にあるものの恐怖」は 現実における脅威度もしくは発生率をまったく無視している
それにはたぶん式すら必要なくて どれだけ心の中にうまれた虚像がおそろしくまがまがしいか その度合いの強さでしかない
んーーーーーー
それも言いすぎている気がする
実はもっともっとシンプルなのでは
恐怖の強さ = L(リスクからの距離)
じつはこれだけなのでは?
どんな無害なものでも 近くにいたらびびります
もちろん怖いものが近くにいるほうがこわいですが
人間がねるときに恐怖をかんじるのは 例えば寝たときにふとんに何ものかがのしかかってきたら怖いとか 寝た時に股間にゴキブリが侵入してきたら怖いとかそういうことであり 貸金庫に強盗が入ってきたら怖いとか インドで大巨人がうまれたら怖いとか そういうのはあんまり思わない あったとしてもそれは「心配」であって「恐怖」じゃない
肝心なのは何か危険なものが自分の死角にせまっているかどうか
これにつきるのでは?
ただ もちろんこれは誰彼構わないものではなくて 自分が信頼できる相手や愛らしいペットが死角をかためてくれているとすれば逆に安心感が湧くわけです
ペットじゃなくても「寝てる間にもこもこの小猫が侵入してきたら」という想像で恐怖を感じるかはびみょう
しかし「寝てる間にもこもこのひげほうじょうが侵入してきたら」という恐怖が成立しうるいじょう「毛がふさふさしている」は軽減パラメータではありえない
あ ひげほうじょうというのは 秋口とかによく路上をすごい勢いで走っていって車に轢かれていく茶色い毛虫です そんなん見たことない? 都会モンは……
とにかく 想像上の侵入者が味方かそうでないかを判断し そうでない場合は恐怖パラメータにすりかえるのではないだろうか?
この仮説はわりとしっくりきました
そうなるとやはりみなさんは手負いのマウンテンゴリラをおそれるべきなのです
だって手負いですよ
うんこだって投げてきますよ
暴力と不潔のオンパレード
もっとちゃんと恐怖してください
うーん
ひとつ思うのは たぶん恐怖の対象って巨大だとよくないのだとおもうのです
シン・ゴジラは超こわかったamphibianですが あれは「目の前の恐怖」であり 寝る前にアレを想うときのこころは「不安」でしかない
たぶん巨大な存在は災害とかにカテゴライズされ 恐怖という感情で対応できる範疇をこえているのでは
あと巨大な存在は接近に気づきやすいから 死角をおかされることもない プライベートエリアも連中のほうが広いのです
ゴリラはみなさんの眠りを脅かすにはデカすぎた
そうか……
そうかもしれません……
恐怖をつくりだすには 等身大かそれ以下のもので死角を攻めるのが基本なきがしますね
ホラー映画を3本くらいみたら気づけそうなはなしです
嘲笑するかたは嘲笑なさい
今夜あなたの寝所に 手負いの……なにかが……
それにしても この観点でかんがえると トガビトで恐怖されてるのって実は少女Mなのでは
ゴリラの恐怖と幽霊の恐怖は、向きが逆ですね
ゴリラの恐怖
ゴリラ⇒受け手
ゴリラから危険性を与える
それに対して、受け手がその危険性を感じる
幽霊の恐怖
受け手⇒幽霊
受け手が目の前にいもしない幽霊に対してもし幽霊が出たらどうしよう
と先に考えています
それに対して幽霊は出る?でないい?
怖いお話などで恐怖を感じる場面というのは、ここを開けたらもしかしたら?いる?いない?
でしょう
実際に危険を発するものが目の前にまだいないので、あらゆる危険性についておびえなければいけません
無限の恐怖
一方ゴリラはゴリラの発する危険度の分だけ
両方同じぐらい怖いっすw
まあでも怖さのベクトルが違うかなあと
心理的な恐怖は、未知への恐怖なんじゃないかなあ。
マウンテンゴリラはまだ予測ができるのです。殴られたら痛いとか、近寄らなければ…とか。うんこは風呂に入るとか。逃げようとか。
幽霊は科学の土台で語れないので、なにをするのか不明です。味方らしい会話でもしてくれればともかく、無言なら取り憑かれるのか、金縛りから馬乗りなのか、神隠しにでも合うのか、予想がつかず対処法もなにを選べばいいか解らない。盛り塩は効くのか!?
対処法のわからなさが、発狂☆に繋がるのではないかしら。幽霊に限らず、呪いや冒涜的な神々も未知の恐怖ですかねえ。
……レイジングループの人狼は「ひゃっはー!狼様きたわああ!ルール厳守させる見張りが居ないとゲームにならないよねー!」と歓喜した人狼バカなのですすまない。
盲目に処刑者をくくる住人は不気味なものがありました。
うーん、これは危険予知のランチェスターの法則と怪異のハイブリッドですか?
恐怖についての話、興味深かったです。
マウンテンゴリラが自分の家にくることは考えにくいので、個人的にはあまり恐怖は感じないなと思いました。それを言うと幽霊も来ないのですが、幽霊はいないと証明もされてないし、いた場合にどんな事が起こるかも想像次第だから怖いのかなと思います。
ゴキブリは、出てきそうだし、もし出てきたらこうなるというイメージがはっきりしすぎるから怖い気もします。
なので、恐怖の強さ= ありえそうかどうか+被害のイメージ+正体不明度
かなと思いました。
でも、あまり怖すぎるとプレイできなくなりそうなので、ほどほどに怖いぐらいがありがたいです。
ゴリラはむしろ現実的な脅威の範疇で、「巨大すぎて想像力が及ばない」カテゴリには含まれないような気がします。
「八尺様」とか「適度にデカいヤバいもの」のカテゴリでは。
対象そのものに対する経験の蓄積(トラウマの有無含む)、持ち合わせている想像力の程度とか、絡んでくる要素が多くて
単純な計算式に落とし込むのは難しいかと。
距離に関しても「エボラ出血熱を鼻で笑うレベルの致死率と感染率の病気がアフリカで発生して既に半分死にました。ヨーロッパでも大変なことになっています」だと、距離そのものは「インドの大巨人」より遠いですが比較にならないレベルの恐怖でしょう。「日本に来るのは時間の問題だ」という想像力が働く限りは。
「心の中にあるものの恐怖」の定義がちょっとよく分からないんですよね。
「現実に直面した場合に相当量の恐怖を感じるであろうと想像される」ものでも、普段意識していなかったら「心の中の恐怖」としては雑魚ということですかね? それを言い出すと「寝ている間にGが出たらどうしよう」と毎日怖がってる人、そんなにいないんじゃ……。
私がトガビトとで一番怖かったのは、チーム防護服に誘拐されるところから防護服に馴れるまででした。得体の知れないビジュアルが怖かったですね…。2周目に入れば前の繰り返しなので、ようやく馴れた気がします。
手負いのマウンテンゴリラ理論拝読しました。実に興味深い内容ですね。
私はもっとシンプルに
恐怖の強さ=非現実度
だと思ってました。トガビトの人間に対する恐怖より、レイジングのふさゆきさんトイレ立てこもりタイムの方が怖かったですね。
目の前に急にマウンテンゴリラがきたらそれはパニックになりそうですが、現実に存在してるものに対してはそこまで恐怖って感情は産まれないのかもしれません。パワーはなくても、1Mあるゴキブリの方がきっとゴリラより恐いです。それが股間に入ってきたら、もう。