※今回はなかなかデリケートな話題ですが amphibianが勝手に言いたくなって書いているものです 内容はすべてamphibian個人の考えであって 企業や団体や集団を代表するものではまったくありません※
amphibianです
ネットの海には様々なご意見ご感想が飛び交っていますが
そのなかで 作品に対して「今の時代にこの造形・この描写は不適切なのではないか」といった趣旨のご指摘をいただくこともあります
いつも真摯なご意見ありがとうございます
思っていること
ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)については Wikipediaなどで予習が可能です
要は差別的でない表現とか 少数派に対して抑圧的でない表現をしようというような考え方です
私見ですがこれにはいくつか但し書きがつくと思っています
- 「政治的に正しい」ということは「現実的には正しくない」可能性がある
言葉が既にとらえていますが実情と反した描写となる危険があるわけで 正確性やリアリティが求められる状況では 両天秤にかけられるべき概念であると思います - 「作り手のための安全装置」であって「検閲コード」ではない
「作り手がまったく気づかずに(それこそ悪意や差別意識もなく)手癖とか慣習でそうしてしまったもの」などが誰かを傷つけてしまうとしたら それは作り手にとってショックだしリスクだということで 作り手がいったん心に留めておくべきこと だと考えています
ケースバイケースで部分的かつ意図的に「正しくない描写」を入れることはありえ その描写の質が良くなかったと批判されることはあってしかるべきですが 原則論として「政治的に正しくなってないからダメ」というのは違うと思います - 本来はエンターテインメントとは無関係
エンターテインメントの本質が「楽しい」ことだとすれば 「楽しい」ことと「正しい」ことは全く別のことだと思っています むろん「楽しくない」状況を防ぐために「正しさ」を知っておくことは大事ですが 政治的にまったく正しくないエンターテインメントは存在し(正しさの概念が古い過去の名作など) いっぽうで 政治的にまったく正しいエンターテインメントは 存在しえません あらゆるフィクション あらゆる表現は 世界でどこかの誰かを傷つけています どんなに幸せで公平で楽しい表現だって 不幸せで不公平で悲しい状況に置かれた人を傷つけるのです
結局エンターテインメントはどこまでも「一部の人にとって楽しいもの」にしかなれず それを真に「万人向け」にすることは 政治的正しさをもってしても不可能です そのうえで「より多くの人に手にとってもらう」か「一部のコアな人により楽しんでもらう」かの決定権は 作り手側の手にあるのが本来の姿ではないかな と思っています - プロパガンダ
「政治的に正しいエンターテインメントで世界をうめつくそう」という考えは それによって世界を政治的に「正しい」方向に変えてしまおう という発想から生まれているような気がします
そういう考えでものづくりをすることは全くアリだとおもいます だれしも言いたいことがあってものをつくっているところはありますし どんな邪悪な思想が潜んでいようが社会的ルールに反していなければそれは自由だとおもいます
しかし 手法としてはそれは洗脳に近いものがあって 「だれかにとって都合のよい社会にこっそり変えていきたい」という発想に基づいているのではないか と疑っています その真偽および是非は 全ての作り手が自分のなかで考えるべきで 思考停止で正しくあれというようなものではないでしょう
さらにいえば みんな自分の思想で世界を染めたい(amphibianはそう)わけだから 人のそれに付き合うギリはあるのか というところもあります
問題
「これは現在において政治的に正しくない」という指摘をいただくことがあります
その場合 深く考え 反省し より良い表現 より良いやり方がなかったか考えるようにしています
ただ それでも答えが出ないこともあります
たとえば 「ここは別に政治的正しさに反していない」と思われる箇所
何度精査しても 不適切用語や知識間違いはなく 文脈上その箇所が誰かを傷つけているとは思えないことがあります おそらく批判者の方が何か別のものと勘違いしているか 「この言葉は(一般的にそうではないのに)放送禁止・使うだけでだめ」という考えをお持ちなのではないか と思うこともあります
たとえば 「ここは政治的正しさは必要ない/むしろ不適切だ」と思われる箇所
たとえば極めて弱い立場で苦しみや屈辱を味わった人が その苦しみや屈辱を逆手にとって濫用したり その立場に甘んじたねじ曲がった人格になったり というような描写はあり得ると思っています そういう生き方をしたのはキャラクター(個人)の選択であり 社会全体のあるべき姿だとか それを書いている作者の思想だとか そういったものとは無関係だと思うからです
さらには その「政治的な悪」を書くことが ある意味で誰かの助けになったり 誰かにとって気づきをもたらす可能性だってあるのではないか とも思ったりします
とはいえ そういった考えはあくまで現時点での考えであって 将来amphibianがもっと書き手として・人間として成長すれば変わるかもしれません
また 個々についての批判ではあったものの 本質的にはamphibianの作風に多数見られる問題点の本質をつくものだったりするのかもしれません
これは いちど作品を世にはなった者として 死ぬまで考えていくべき課題なのかなと思っています
現状
ひとつ 自分の中で「政治的に正しくないこと」を意図的にしていると思う箇所について告白しておきます
それは「男女の書き分け」についてです
amphibianの傾向として キャラクターが「おかしくなる」ときに、男性は「対社会的に」 女性は「対人的に」おかしくなる といった書き方をしがちだとおもいます
これはamphibianの独自の観察や思考によってできた傾向だと思っていて 個人的にはどちらもおかしくなる点で平等だと思っていますが 「内面的な画一性・優劣性」につながりかねない描写ではあるので 何かしらブレイクスルーが要るような気もしています
また 性的マイノリティーの描写もまあまあしてきましたが それは割と生物的性(セックス)と社会的性(ジェンダー)が相関しているような考え方に基づいて書いているような気がします それは通常の社会通念に反しているかもしれず 多様性(というか「個」を描くこと)と相性が悪いかもしれません
これらの根底にあるものとして amphibianがかつて学んだ生態学とか環境生物学とかに影響をうけての世界観というものがあり それに基づけばあらゆる生物個体は有利な環境をめぐって生存戦略を変えつつ争っているもの ということになります
ジェンダーロールや性的マイノリティーのこと 政治的正しさのことも その世界観でとらえている部分があり それはおそらく政治的正しさどころか 多くの人の考え方と合致しないものなのですが 一方で独自始点や面白さを見出すことに繋がっているようにもおもいます
この大方針は 細部は調整するとしても 現状変えるつもりはなくて むしろ深化させ より独自色豊かな世界を作品に反映させられるように持っていけないか と考えている部分はあります
また 「個」「オンリーワン」というものに対しては少し疑念も持っており 例えばヘテロLGBTという区切り方が乱雑すぎて現実には数百数千のセクシャリティーがあるというのは そういうものだろうな思いますが 何らかの要因があってそういったセクシャリティーが生まれ分化しているのは確かだと思いますし 要因を追跡したり分類を試みたりすること自体は悪ではないし不可避だと思うわけで 「分類不能だから個として扱う」のは「政治的正しさでしかない」のではないかとも考えています 「個を得たくても得られなかった人々」とか 「現実には人間を集団でしかとらえられないこと」とか そういった「現人類の限界」にリアルを感じるので そういった描写はこれからも出てくるかもしれません
おわり
とはいえamphibianは企業人なので より作品が多くのひとに受け入れられるよう これからも自己主張と求められるもののすり合わせは常に行っていくつもりです
母からの教えで ↑に書いたこととも重なりますが 「全ての本は娯楽だ」というものがあります
楽しくない本に読まれる価値はないのだと思っています
だから常に 楽しい話題を 楽しい技法を 楽しい思想をもって 作品を作っていかねばならないと考えています
多くの方にとって楽しくないと思われる話はそろそろ終わりにしましょう(楽しんでくださったなら光栄ですが!)
また面白いものをつくれるかどうか 怖いところではありますが
お付き合いいただければさいわいです
ひきつづき よろしくお願いします
※今回は大変むずかしい話をふくんでいますが 泥沼につながる可能性もあるので なにかしらご意見いただいたとしても反応・反論などはしないでおこうとおもいます 悪しからずご容赦ください※
あんひびあんさんの作品=あんひびあんさんの思想そのままです。
私はレイジングループ大好きです。
現代は無邪気さに目の霞んだ、自分にさえ成れていない、自分を見失った人々が多いですが、口調や思考を誰かの猿真似をするのではなく、あなたはこの世にたった一人しかいませんから、自分らしくあり続けて下さい。
難しい話はわからないし、amphibianさんの文を読んでも理解できたのは半分ぐらいだと思いますが、少なくともこれまでkemcoADV作品(さささぐを含む)全てをプレイして、多くの感動を貰ったし、楽しかった。
(ADVチーム編集)ぐらいamphibianさんのADV作品が好きです。
amphibianさんは製作者側なのでそういう批判でさえも新たな発想になるのだろうと思います。
プレイヤー側、購入者側の1人として言えることはどんな批判が来たとしてもamphibianさんの作品から離れることはないので、これからも頑張ってください。