なめられるのが嫌だということ

生存者のみなさん おはようございます
amphibianです

これまで何度か「作者はなめられてはならない」というようなことをかきました
重箱の隅をつつかせるとか 矛盾をあげつらわれるとか そういうことが重なると 読者側は作者への信頼をなくし 物語に付き合ってくれなくなるからです

今でもまちがってはいないとおもいます
作劇にかんするハウツーとか心構えみたいなものは 常にブラッシュアップしつつ いずれの段階でまとめるとかしておきたいと思っていますが それはともかく
このことを「なめられてはならない」と表現することには たぶんamphibianの根底の性根および世界観がかかわっています

amphibianは なめられるのが きらいです

なめる なめられる とは

 《形容詞「なめし」の動詞化かともいう》かるく見なす。甘く見る。みくびる。「若造に―・められる」「―・めたことを言うな」


出典:デジタル大辞泉(小学館)  - Goo辞書

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/165158/meaning/m0u/%E3%81%AA%E3%82%81%E3%82%8B/

amphibianは 相手に対して有形無形の「自分が上位だ」「お前は下につけ」というメッセージを発することだとおもっています
これは意識的 無意識的 両方あります 知らず知らずのうちに相手をなめていた ということはあるとおもいます

重要な定義をやっておきます

  • 「なめる」も「なめられる」も「スキル」だ
  • 「なめる」は攻撃と防御を兼ねるスキル
  • 「なめられる」は防御限定のスキル
  • どちらも使うほど伸びる

「なめる」は武器みたいなものです 相手を傷つけるのにも 振り回して敵を遠ざけ自分を守るためにも使えます
「なめられる」は防具みたいなもので 基本的には身を護るためにしか使えません

分類

世の中の分け方にはいろいろありますが 「なめる」観点においては以下のような分け方があり かつ ものすごい格差でもって順列があると思っています

  1. 支配者 ……完全に「なめる」側として生存した
  2. 闘争者 ……「なめる」「なめるな」の闘争に勝利し生存した
  3. 不穏分子 ……「なめられる」ことで生存したが不満がある
  4. 従属者 ……「なめられる」ことで生存しそれに麻痺してしまった
  5. 無垢な人 …… 「なめる」「なめられる」の闘争と無縁に生存した

↑に書いたようにどの階級に属するかは自分が歩んだ人生によるとおもいます
人生とは生存競争です
生存競争において競争者は優位な階級を得るために闘争をします
闘争の様相は環境においていちじるしく差があります
1~3は人数的にピラミッド構造をなすとおもっています
4はもしかしたらすごく多いかもしれないですが おおむね3で4ほどはごく一部 とみています
5もごく一部だとおもいます

1は 既に闘争に勝利し完全に主導権を掌握した集団内で 次の指導者などのポジションでそだてられたようなひとです 一握りでしょう
このひとたちは多数の「なめられる側」に囲まれ 帝王学や競争をたくさんまなび 意識的および無意識的に「なめる」スキルをみがいてきたので ものすごく強いです 常時ミサイル弾幕を張っているようなもので 周りの人は基本的には「なめられる側」に回ります

2は かつて3だったり1だったりしたかもしれません おそらくは人生の早い段階で苛烈な階級闘争のしくみにきづき 「なめる」スキルの攻防一体の優位性にかけて 「なめる」一本で生き抜くことを決めたひとたちです
アーリーアダプター側なので基本的には強いですが サラブレッドである1のひとにはかてません また 階級闘争の厳しさを身をもって知っているので 2の中でもかてない相手に対しては「なめられる」側に甘んじることをよしとします
昔悪かったが今は~ というひとたちも 基本は2のままなので 「なめる」パワーがすごいし それを基本とした階級構造をつくりがちです

3は 出遅れた勢です 生存競争の厳しさには気づきましたが いまさら「なめる」スキルを伸ばす厳しさに気づき 「なめられる」スキルを伸ばすことにした人達です 主に1や2のひとたちから積極的に「なめられる」ことで3のなかの階級を向上・維持しようとしますが 競争の存在じたいには気づいているので 「なめられている」ことへの不満をつねにためています
2をくさすことで勝った気になりますが 本質的には闘争に勝ちたい人達なので 3以下の階級内でみにくい闘争をくりひろげます

4は 現在進行形で出遅れているひとたちです 彼らはひたすら「なめられて」います 「なめられる」スキルは自然にそだっていますが その自覚がありません 「なめる」「なめられる」の構図に気づいていないため 自分の周辺環境の居心地がわるく めぐりあわせが不幸であることの理由が分からないのです

5は たまたまそういった闘争とは無縁に育ったひとたちです
「なめる」ことも「なめられる」こともなく スキルはどちらも未取得です
ゆえに全てのひとと対等な関係構築をこころみますが 相手もそうしてくれるかどうかはわかりません

じぶんのこと

amphibianは「3 不穏分子」だとおもっています

幼少期……アホでした

小学生……基本的には「委員長タイプ」だったかと思います ただしカリスマがあるタイプではなく 「授業と秩序への追従で階級確保をねらうタイプ」です
成績はよかったので授業では積極的に発言していました いつしか授業中は自分が優位階級に立っていると思ったのでしょうね ふざけたことを言ってウケをとるといった行動も目立ったと思います 一方で反風紀行為の告発や注意をやったりして衝突したりといったこともやり 劣悪な関係性の学友も多かったです 総じて「目立っていたやつ」だったかと思います

中学生……基本的には小学生のころと似た挙動をとっていましたが この頃から環境内闘争における学業の重要性がのびてきて 頭はまだ勉強についていけていたので 「秀才」っぽいムーブをしていました 一方でまわりのみんなも徐々に闘争の重要性にきづいていきましたが 地元は当時県内でも成績がかなりアレなほうだったこともあってか チンピラ化して「なめる」全振りに向かう連中がふえてきます そういった相手は確実にamphibianを「なめて」いましたが 当時はそういう構図も 自分がふざけたりすることで「なめられ」や反感を買っていることも あまり理解していませんでした

高校生……勉強していい学校に入ったところ 底辺階層に属すことになりました
学業の優位性が地に落ちたことと 「頭もナメスキルもつよい2の人達」がいたこと 秩序側の虎の威を借ることに失敗したことなどが主因でしょうか このころになるとみんな先生や権威に反抗するスキルをみにつけてますからね
1を間近にみたり 2の友達ができたりと 世界もひろがり ゆえに学べたこともたくさんあったけど 個人的には暗黒時代ではありました 自分が「なめられる側だ」と気付いたのはこの頃です おぼろげに競争の構図を意識しだしたのだとおもいます

その後……なんとか進学しましたが入り口で大きなつまずきをして一瞬超絶底辺におちかけました しかし周りができた人達だったので死なずにすみました
環境がいっきに広がったこともあり いちばん社会性について学び反省した時期だったと思います 「なめられる側」の生存戦略を真面目に考えて実行してきた結果 たくさんの会社におちつつ 今の会社にひろわれたかんじです

現在……会社でも絶賛なめられてるYO!

なお 小学生から全ての時期において amphibianは「なめられたくない」「重要に思われたい」「怒り散らして周囲から恐縮され尊重されたい」といった思いを持っていたと記憶しています
出発点は幼児的全能感とかそのへんなのかもしれませんが おそらく早い段階で「なめられることへの不満」「なめている相手にわからせてやりたい衝動」に変わったとおもいます
それを実行に移していれば2になっていたかもしれません
度胸とか性向とかよりも 「なめ」はスキルだとおもうので ガンガン暴れ散らしていればじきに(ある程度は)強くなったとおもうのです その路線に乗れるか乗れないかが2と3の分かれ道かと思います

3のこと

自分が属している階級のことなので 3のことはよくわかります
世の中のかなり多数が3だと思います
われわれは全力で「なめる」闘争にくみする度胸をもちません
かといって階級上の優位に立ちたいという思いも捨てられません
それで何をするかといえば3のなかで争ったり 4を虐げるわけです
2のこわい人達をDQNだなんだとののしりますが 心のなかではあこがれているのです
ゆえに 「なめる」スキルと直球で結びつく威嚇や暴力といった行動ではなく 学業や芸術や知識やお作法など さまざまな分野で「なめる」活動をおこない そういった優劣をつくりだして自分の住処を確保するのです
ああ書いててやになりました

こんな世界やだ

みんなが5になる世界にいきたいです
誰もなめないしなめられない
上下関係を作ってからじゃないと話せない 仕事ができない 友達になれない
そんなのいやじゃないですか
一次的に上下の「役」をもつのはいいと思います 教師と生徒 ホストとゲスト 書き手と読者 行うサービスや関係性が上下の段差を必要とすることはあるでしょう しかしそれは「役」に過ぎないのだ 「本質」ではないのだ 劇が終わればみんな5に戻るべきだ

しかしそんなことはおきません

amphibianがこれを望むのはamphibianが3に甘んじていることを不満に思っているからです 1や2の強いひとたちは現状の環境におおむね満足し その強さでもって環境を維持しているので 現在の社会は安定しています
転覆するためには闘争が必要ですが 3以下の人間は闘争がクソ下手なのでどうにもなりません
ゆえに今日もくだをまく結果となります
ああ なめられたくないなあ

……というお話だったのさ

ここまで書いておいてなんですが これはフィクションです

正確にいうと フィクションレベルの精度保証しかないものです
階級分けとか書きながら考えたし
「1と4と5はなめてる自覚がないから互いに区別ができない」とかの設定も考えたけどイマイチ動作確認ができなかったのでやめたし
精度を上げたところで 個人の感覚 個人が雑にとらえた世界の素描にすぎず
こんな単純なものが世界の真理だというつもりは ひとつもありません

ただ少なくとも「なめる」「なめられる」がamphibianの世界観の一端をなす概念であるのはたしかです
だから東京03のコントで角田さんが「お前は俺をなめてるだろう!」とキレる姿にいつも目頭を熱くしているのです

「なめる」「なめられる」に関心があるかた あるいは自分の対人的な苦境になやんでいるかたには もしかしたらなにか 気づきを与えられるかもしれませんが まあその程度のものだとおもって眺めてもらえたらと

というわけで amphibianは「なめられる側」として生存しましたが 「なめられたい」とはひとつも思っていない という話でした
なめんなよな

それでは

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  1. 2018.12.14

    制約と逆境
  1. 匿名 2020.02.10 4:45am

    ええ!? フィクションなんですか

  2. みょん 2019.01.28 3:17am

    僕は3か4ですかね。
    不満はあまりないですが、時々たまに、先輩とか先生とかに不満を抱くことはあるので。
    まぁ、自覚云々のとこは心の根っこがわかってるかわからないからわからないけど(悲

  3. あんや 2019.01.20 10:59am

    他作品で世界観が似ていて実際似てるけどそれでも登場人物の言うセリフとか心に残るシーンとかあるのにそれでもパクリとか言う人とか、言うほどひどい声してないしむしろ声合ってる声優disられたりした時、そういう書き込み見てて作品なめられてるんだなて画面越しから伝わってくる。しかし同時にこれらの反論を考えようとしてもなかなか上手い反論が思い浮かばなかったりする。なめられることが嫌みたいだけど、実際製作者がなめられないようにするのってものすごく難しいのでは?

  4. リュウ 2019.01.18 6:16pm

    最初自分は4かなぁと思ったのですが、説明見ると少し違う感じがしました。
    「なめられる」人の中にはそれで心からよしとする人や、「なめられる」ことを武器にして自分を低く見せ、ある瞬間に「なめて」関係性を逆転させることもあるように思います。
    自分は「なめる」ことが苦手で、上に行くこと自体を諦めているのでどんな人に「なめられて」もあまり苦に思わず、みな等しく同じに感じます。そのため麻痺した4かなと。
    個人的に考察すると、逆転できる人は2かもしれません。ある意味「なめられる」ことで相手を「なめる」テクニックの一種なのかも…
    こうしてさまざまなパターンが考察出来て、これまでのケムコADVのキャラでも考察出来そうなのでとても参考になりました!

  5. 匿名 2019.01.18 4:19pm

    終章にてフィクションと言われるまで没頭して読ませて頂きました。
    私も3の部類に入る者ですが、闘争の存在に気付きながら、闘争に打ち勝ちながらも無垢なふりをしている人に苛立ちを覚えます。
    そのような感情も負け犬の嫉みなのでしょうが…
    今抱えている悩みや負の感情も、すべてこの闘争のせいだと考えると遣る瀬無い気持ちになりますね。そう考えたところで何も変わりませんが。

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