amphibianです
朝さあ仕事だとなった直後に狼じじいの誕生日を祝う必要性をリマインドされた時の気持ちを答えよ(1点)
ともあれ長生きおめでとうございます
以下 ネタバレをぼかして言うのですが
人物Aが自分を人物Bの「弟子」といったり 人物BがAのことを「自分とよく似ている」と表現することについて ここには部分的一致と見解相違の両方があります
AもBも 人間や世界や神といったものへの考察が他人より一段深く その結果似たような哲学的視点に 立つに至ったのは確かです
その深さは 根源的には 人間や世界や神に対する洞察と 「こんなものだろ」という見限りというか ある種の絶望 あるいは「悪意」的ものの見方によって生まれています
その「悪意」の度合いについてはBのほうが深く それを学ぶことでAが最終的な壁を突破できたのは 確かです
ここ小説版ではだいぶ補っていますが 本質は変えてないつもりです
いっぽうで AとBが完全に異なるところもあって
そんな悪意的世界観のなかで Aが希求するのは「未知」であって Bが希求するのは「猟奇」とか「悪徳」なのですよね
どちらも底無しの欲望をかかえていますが Bが犯罪や惨劇の蔓延を好み 誰がどう死ぬどう苦しむを愉悦してるいっぽうで Aはそんなことよりパズルの解答や推理小説のオチのほうが知りたいはずです 死体はもう見たことあるし 「残酷な映像や話」の規模をいかにでかくしようと「まあそんなもんだよね、知ってた」で興味がなくなるわけです
そんなAが 某描きおろし小説内で 人物Cの生死に興味をいだくシーンがありますが それも「Cをそもそも排除できるのか・排除したら流れはどう変わるのか」という点に興味をもったということです
そういうわけで 悪人としての表面的テイストは AとBでだいぶ違うはずです
しかし「真理の扉を開いてしまったがゆえに手が付けられなくなってしまった人物 アウトサイダー」という形で 「悪」の同類項にくくることもできる とも 考えています
とはいえ そうですねえ
「神」のテーマは RLゲーム版でおおむねかたり 小説版で現段階での理解をほぼ出力しきった認識ですが
「悪」については 特にそれをキャラクターに落とし込む方法については まだ全然やりきれてない気がしていますので 継続して取り組みたいです
とにかく 狼じじい氏
今日はたんじょうびおめでとう
はっぴばーすでー
あっぱれ 長生きしてね
それでは
どちらも同じような悪意的視点を持ちながら、自分の欲望によって全く別の道に立っているのは面白いですね。
そしてその向かう先を我欲によって選んでいるという点でまた一緒、というのもとても面白いと思いました。
はーぴーばーすでー狼じじい。