「ゲームとリアリティ」と「ゲームである物語」

amphibian_eyecatch

amphibianです なんかチームとしてのてきとうな更新用の「TODAY」イラストが便利でいいんですが そんなかんじでamphibianが駄文をかくときようの適当なアイキャッチほしいなあとおもっています
とりあえずこれつかわせてください蛇屋のあねご いずれじぶんでよりうんこ的なものをつくって使います

さて本題ですが Twitter発言をテーマごとにまとめられるWEBサービス「Togetter」でこういう話題をみかけました

ゲームのグラフィックが良くなりすぎると、グラフィックとゲームシステムのリアリティラインが齟齬を起こすんだけどどうすりゃ良いんだ?

http://togetter.com/li/1055755[browser-shot url=”http://togetter.com/li/1055755″ width=”600″ height=”450″]

いろいろ言いたくなったので 考えたり書いたりしてみようとおもいます
語るにあたっては 前半はゲーム企画&ディレクター経験者として 後半はシナリオライターとして話すことになるとおもいます
なお どちらも業界水準でいえば スキルレベルは雑魚なので ご笑覧バリアーをはっておきます
わらってゆるしてね うっふん

 


前半

上記まとめには 大別して2つの論点がまじってますよね

・ゲーム画面内にうつる「うそ」が 画面自体のリアルな見た目と合さったとき 変な感じがする
・何らかのシンプルな「ゲームルール」に リアルなオブジェクトをのせるのは こっけいな(あるいは間違った、不適切な)デザインである

おそらくまとめの意図としては 「絵がきれいになっちゃったせいで、明らかにミサイル2対しか積んでないリアルな戦闘機なのにミサイルばんばか飛ばしてて、ミリタリーファン的にはわらっちゃうよね」という 含意のとくにないプレーンな感想であって 前者だとおもうのですが

「うそ」と「ゲームルール」はそもそも違うとおもっていて 後者をまぜてそれを混同していくと「うそを無くせ」という話から「ゲームルールを特定方向に複雑化していくべきだ」という話になりがちで どうかなあと思います

ルールというものは あらゆるエンターテインメントに存在するとおもっています
amphibianは「人間が感動するためには物語が必要だ」とおもっていて 裏をとるとこの論は「物語は人間を感動させるためのプログラムだ」ということになるのですが
ストーリーテリングも一種ルールのかたまりのようなもの 広義のルールなのです
ゲームにおいては プレイヤーが直接拘束され ルールを理解しないと進行すらしないという点で ルールはより明瞭な存在となります ちょっと脱線してるので閑話休題

ゲームにはルールが存在し プレイヤーがルールに従って行動することで楽しみを得るというのが ゲームがエンターテインメントとして作動する基本機序だとおもっています

当然「おもしろいルール」「つまらないルール」というものはあり ルールの良し悪しはゲームの出来に直結する重要事項ですが 基本的に人間を楽しませている部分のルールって シンプルなはずなのです
ゲーム世界をコントロールする方法(コントローラーとか)は非常に限られているのだから あまりに複雑な操作ルールは実現できませんし
大部分の思考や処理をコンピュータにまかせることができるとはいえ プレイヤーは頭がパンクするほど複雑な処理をしたいとは普通おもわないです
適度にデフォルメされた事象を いいかんじに選択肢としてならべ タイミングを見計らってその最善のものを選べるか それでどんな報酬が得られるか
そういうルールの根本となる基本部分を触っていて楽しいかどうか

こういうのがゲームの本質であって それは本来現実の世界がどうだとかとは関係ないことのはずなのです

もちろん 現実世界っぽい複雑なルールを考案してそれをおもしろくゲームに落とし込むことは可能ですが
ゲームが目指すべきことはゲームルールとして遊んで楽しいことであって 現実世界に近づけることそのものではない ということです

たとえば 「ターン制RPGは単にハード制約で現実の戦闘をうまく表現できなかった時代のやむを得ずのソリューションであって これだけ入力も出力も記録領域も発達した時代には不要なものだ」という論をみます 特に海外の古めのメディア記事とかで
べつにうちがRPGつくってるメーカーだからというのではありませんが これは暴論で ゲームをろくにやらないひとなんじゃないかと思っています
ターン制ルールを採用することには ゲームルールを「リアルなもの」でなく「戦術的・戦略的なもの」に寄せられる点で十分にメリットがあります
実際にターン制ゲームは まあAAAタイトルでは少ないにしても インディー等でさまざまな発展をみせつつ命脈を継いでいるように見受けられます
ほかにも アナログゲームは近年ブームになったりもしましたが もちろん複雑なデータベースを操作させるものもある一方 基本的に処理はデジタルゲームよりも軽くてシンプルなわけです
ゲームルールは現実をなぞる必要もないし 複雑である必要もない どちらかといえば根幹はシンプルで味わい深いやつのほうが間口は広くなると 個人的にはおもうわけで

だから個人的にはリアルなものにシンプルな(あるいは「時代遅れ」な)ルールを載せることに 個人的には違和感はないです
問題があるとすればそれは自然なルール伝達において誤解をまねくおそれがあるというとこでしょうか
リアルっぽい見た目のゲームにはリアルっぽい操作性やルールがあるとプレイヤーは想像するかもしれない レトロっぽい見た目のゲームにはその逆かもしれない
ただこれは どちらかというとゲームリテラシーや 想像力の問題だと思います

amphibianはアスキーベースのroguelikeゲームが好きで グラフィックよりもアスキー表現をこのみます こういうかんじのやつ
これは情報量や操作性の面で遊び易いということもさることながら 想像力を働かせる余地があって楽しいのですが あんま理解されないんですよね
なおNHだの*bandだのは日本のroguelikeよりも数百倍複雑でそれゆえに奥深いゲームになっています

リアルなゲームにシンプルなルールが採用されてるケースとまるで逆ですよね

たぶん想像以上に多くのひとが 見た目に即したルールがあるべきだと考えていて
たぶんそれは 自分のプレイ体験から「こういうものを遊んで楽しかった→こういう見た目のものはこうあるべき」という思考につながってるんじゃないかなとおもいます
エンターテインメントについては保守的な人がそれなりに多いのでしょう
新しいものに好き好んで突っ込んでいって楽しさを自分から見つけようという人はきっと少ないのです
そういうことを考えると 見た目とルールを一致させることに 商売上は意味があることにはなると思います

それでも ゲーム作る側としては いろいろ変なものをつくってみて 新しい面白さを生んでみたくなっちゃいますが

(なお 「新しい見た目に古いルール」という批判については たぶん見た目だけ新しいけど中身は古いまま・使い回しであるという作り手側の怠慢への批判もあるのでしょう そういうのはまた別枠で真摯にうけとめねばとおもいますが 一方で保守的なプレイヤーのためにそういうのもそれなりに必要だったりするんだよなあともおもいます)


後半

ノベルゲームつくってると「ゲーム性はないがおもしろい」とか「ゲーム性があってほしかった」とか死んで腐って再誕するほどきくわけです
これについてはそれこそ 分岐すらないノベルであった「ひぐらし」等でさんざん議論しつくされてる話だとおもうんですが まあここでのネタとして 車輪を再発明するぶんには おおめにみてもらえるでしょう

ノベルゲームの本質を「選択肢の選択」に置くのは間違っているとおもっています
物語を読ませることでいかにゲーム的な楽しみを与えられるか という点が amphibianがいままで書くにあたり注意してきたことです

たとえば 作劇にあたって 主人公が選択肢なしで行動をとる場合、できるだけ「ユーザ側でベストと思われる選択」を選ぶ とかです
ゲームを遊んでいるプレイヤーは主人公に近い立ち位置で何らかの決断にあたり思考や判断を行っているものと推測できます
主人公がそれに反して露骨に愚かな行動をとるとプレイヤーの思考が無駄になりストレスに繋がります
逆にプレイヤーの思考を上回る妙手を打つと プレイヤーはこの主人公を「自分より上手なプレイヤー」とみなすか あるいは「自分がたまたまうまくプレイできた」と感じてくれるかもしれません
そういうことを重ねたうえで 主人公やプレイヤーの行動を上回る事態を発生させ それで話を動かす という感じです
まあ全部それでやれてはなくて端々で「愚かな行動」に頼った作劇を行ってしまってるんで それはちょっと反省しなきゃいけないのですが

また 前半につながるのですが 「基本となるルールをゲーム的にする」という点です
実のところ 物語の面白さの前半分くらいは 物語に特有のルールの判明/解明 それに理解が及んだことのセンスオブワンダーにあると思っています
物語そのものもルールのカタマリですが 一方で多くの物語は進行・展開にあたって何らかのルールがあると思っています
例えば恋愛話のひとつにしたって
「なるほど! この話ではフタマタが発生したうえにこのフタマタ同士の関係性がアレだから一方とこうなったらもう一方がこうなるんだな! だから後々こういう異常な展開がおきるわけだ! おおお! おもしれえ!」
というような点が あまたある恋愛話をユニークにしている正体であり それはルールにほかならないとおもうんですよ

「恋愛話」というだけだとテーマとしての新しさはないし 既にいろんなルールが考案されてはいますが
それらの要素を組み合わせて新鮮さがでるかぎり 物語はつねに「新しい」ものと認識できるとおもいますし 新鮮なエンターテインメントを提供できるものだとおもっています

だから作り手としては じぶんがルーラー(ルール設定者=支配者)であることを理解しつつ エンターテインメントの最小範囲であるルールについて理解と知識をふかめ 常に新たな組み合わせを試しつつ 斬新なものも生み出そうと努力し続けることが 大事だとおもっています

言うことがなくなったので たぶん言いたいことは↑で尽きたとおもいます


というわけで こんかいはこんなもんです
書いたものをふりかえってみると amphibianは企画もディレクションもシナリオもおんなじようなこと考えてやっちゃってるんだなと思います
だから基本現場のみんなに負担をかけて迷惑をかけてしまうのでしょう
これからもよろしくおねがいいたします(反省ゼロ)

関連記事

  1. 2016.08.05

    こわいはなし
  1. 常世名 2017.01.05 1:48am

    この関連の話はゲームに限らずアーティステイックな分野全般のモノですね
    心血注いで舞台を用意する側と観客やパトロンとの応酬を交えたりしますし
    歌舞伎が初期には阿国のような女性もいたのに女人禁制で女形が出てきたり、囲碁の互先ルールや将棋やチェスのルーツであるインドのチャトランガの話とか
    自分は時世の変化による変遷と変わらぬ本質の両面を持ち続ける文化が強いのだと思います

  2. ししばなれ 2016.12.11 10:48am

    ストンと腑に落ちますわぁ・・・。

HTMLタグはご利用いただけません。


※コメントは承認されるまで表示されません。ご了承ください。
投稿前に『サイトポリシー』もご確認ください