吐き気をもよおす『邪悪』について

amphibianです

「吐き気をもよおす『邪悪』」とは マンガ「ジョジョの奇妙な冒険」の数多い名言のひとつです アニメでも出たようなのでご存知の方も多いかと思います
第5部のセリフですが第3部でも似たような発言がなされており おそらく作品全体に共通する「悪」および「人間賛歌」に根源的に通ずる概念なのだと思います

ちなみに「ジョジョ」では 吐き気をもよおす邪悪とは 無知なる者 弱き者を 自分の利益のために利用する 踏みにじる といった行為だとされています
ジョジョの悪役には 望み自体は凡庸だったり崇高だったりしつつ それを実現するために他人を見下し犠牲にすることをいとわない性質を備えているケースがよく見られ 一貫しているなと思います

「ジョジョ」の名言については含蓄深いものも多く影響を受けたものも多々ありますが この「吐き気をもよおす『邪悪』」についても思う所があって 何となく書いてみようと思います

私としては 「吐き気をもよおす『邪悪』」というのは 究極の邪悪というわけではないと思っています

悪の定量化とかができるかは分からないです
が 無心に人を殺しまくるやつとかもなんだかんだで邪悪としてはレベル高いと思うのです
これもひっくるめて「他人を自分のために利用している=邪悪」となると これはもう広義の悪の定義になってしまい 確かに私利私欲=悪という立場はよくあるのですが もうちょっと絞りたいと思ったりします

いまのamphibianの考えでは 「吐き気をもよおす邪悪」は悪の強度ではなくカテゴリの話だと思っています

とにかく殺してくるような悪は 「対峙し切除すべき悪」であって 明確に「外患」なんですよね
一方で 凡庸だったり崇高だったりする望みのために他人を踏みつける悪は 「隣近所にひそむ悪」であって「内憂」の類ではないでしょうか
戦い叩きつぶし殺すことで解決できない 解決に苦しみを伴う自らの中の悪
ゆえに「吐き気をもよおす」のではないでしょうか 吐瀉も悪いものを排出しようとする体の働きだから

自分のなかの定義にもう少し踏み込むと 「吐き気をもよおす悪」は「偽善」に近い概念だと思っています 「偽善」の中でも 悪を隠そうと善に振る舞う類ではなく 自分を善だと疑ってもおらず他人を傷つけている類の行動です

さらに踏み込むと 「お前は別に死ななくてもよいが俺より劣位で生きてくれない?」と強要する行為こそが 今思う「吐き気をもよおす邪悪」です

他人を利用する という能動的かつ一時的な行為にとどまらず
相手の属性を一方的にこういうものだと定義して ゆえに劣位であるから是正するかへりくだって生きろ みたいなことを強要するやりくちは しばしば「正しさ」を標榜する人々によってよく行われています

こういうのを見るに 人間は「神」から脱却できないのだと改めて思う次第です

ちなみに善も悪も普遍的なものではなく 「社会構造の発達段階ごとにあるゲーム理論上の最高効率」みたいなものだと思っています
「善」は社会全体の勝利を目指す戦略をとる一方 「悪」はその一般戦略を裏切ることで社会全体の勝利ポイントを下げたり 自分側で勝利ポイントを総取りしたりする戦略なのかなと

この辺の善悪観のようなもの よく考えるのですが いまいち作品に落とし込めてないのですよね
フィクションとして書きたいものと若干ズレがあるのですが
うまく合わさればより説得力があるものになるのかもしれないとも思います
どうすればいいのか そうしてまた思考に沈む日々なのでした

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    なるほど。
    「善」が対象とする「社会(われわれ)」の範囲の違いを云々するストーリーはいろいろあっても、戦略的に「悪」の方法論を選択するストーリーはなかなかないですよね。
    それで、ふさゆきさんが新鮮だったのかー

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