amphibianです
思う所があったのでカテゴリは「きょうのADVチーム」でなくエッセイにしました
前回のRADIOで料理に対することを言ったりしました
そこでは「能力の証明」と書きましたが
よくよく内省すると たぶんそれは終わりなき劣等感 コンプレックスに起因するのだと思います
amphibianの親族にはなぜか職業と無関係に農業・工業系のスキルホルダーがおおく
自力で家を立ててやったぜとか
ちょっとした重機や工業機械は動かせるぜとか
かなり自活力というか 難局を自力でどうにかする能力に長けた年長者たちを見て育ちました
かれらはすごく 憧れの対象でもありましたが
「そうあるべし」という空気も確かにあって 若干の気後れが常にあったように思います
「ナイフ一本で無人島を生き残る」というフレーズをやたら覚えています
細かい文脈は忘れましたが「最低限のツールと豊富な知識があれば生き抜くことは可能」という意味であり
同時に「そうあるべし・そうなるべく学び研鑽すべし」といううっすらした教育方針はあったと思います
amphibianは基本的に読書と工作が好きな子供であったため
小刀やノコギリをいつでも使用でき
山から竹を取って来て遊べる環境を与えられたことは とても嬉しかったです
しかしながら 遊ぶのが好きでそれ以外の拘束は嫌いだったため
時折発生する農作業や庭仕事の手伝いは 好きではありませんでした
(今ならその手の作業にも没頭できると思いますが 当時は『自分が何かを作っている』のではなく『面倒な何かをやらされている』感しかなかったのだと思います 今振り返ると勿体ないし申し訳なく思います)
そういうのの積み重ねもあって
amphibianはやがて 立派なサバイバリストという理想像から外れた ただのデブオタとして育ちました
結局そういった面で祖父や父にかなわない という劣等感が
色々な動機へとつながっていったと思います
端的には「やつらが持っていないスキルを得る」ことにより部分的勝利をめざしたのです
そのひとつが料理です いや みんな料理スキルゼロでは当然ないんですが
凝った料理や変な料理を作るスキルを得ることで勝つ 認められる そういった発想は間違いなくあったと思います
コンピュータのスキルもそうです
「いずれ父のように書類やら図表やらサクッと作れるようになるべし」といってPC-9801EXや文豪を与えられていた小学生はあまりいないと思いますが こちらについては多少適性があったのか 今ではさすがに父を超えたとおもいます
弊害(?)としてゲーマーには成り果てましたが
創作についても結局そうで
あんまりゲームやファンタジーの世界に遊ぶことが(全否定はされなかったものの)完全肯定されなかった家において
妄想から何かを取り出して食っていこう という発想に流れたのは
やはり上記の「部分的勝利をめざした」姿勢が影響していると思います
大型2輪や狩猟免許取ったのも結局それですね
ぜんぜん活かせてないです
それはともかく
そんな有様でも 三つ子の魂百までというのか
「ナイフ一本で無人島を生き残る」ことへの憧れ 執着 信仰 めいた何かは
amphibianのなかに確実に存在します
サバイバル系の洋ゲーが好きですしね
ただ実生活においては わりと弊害のほうが大きいと思います
amphibianは「他人のやり方に自分を合わせる」ことが非常に苦手です
「自分で自分のやり方を見つける」ことに執着があるからだと思います
このため複雑な事務作業にアレルギーを持っていますし
既製品が「自分のやり方に合わない」と感じてより良いものを探し続け
最終的に自分で作ろうとして うまくいかず時間を浪費する など しょっちゅうあります
おなじ理由で仕事でもマニュアルやフォームをたくさんつくりましたが
決して頭が良いわけではなく
デザインやUXの勉強をしたわけでもないため
使用者に多く負担や迷惑をかけて 申し訳なくおもっています
企画書つくるときとかも
みんなそこらへんから適当なフリー素材をうまく拝借して小ぎれいにつくるところを
amphibianはとにかく「既存のリストから近いイメージのものをさがす」ことが嫌いで
「自分のイメージをそのまま出力して見せる」ことにこだわって
へたくそな絵や図をいっぱい盛り込んでいって 笑いものになるわけです
結局サバイバルは「とりあえず目の前の危機を生き延びる」ことであって
そのためのスキルは命を救いこそすれ 長い目で見た時の使いやすさや効率性を
必ずしも保証してくれるものではなく
ましてや商品として成立するものなど とうてい作れはしないということかなと思います
ただ
「ナイフ一本で無人島を生き残る」の気持ちがあってこそ
なんとかここまでは来られたのかな という気もします
だって無人島だもんな ここ
鈍色~トガビト期はとくにノウハウもくそもなく
スキルを授けてくれる師匠もおらず
リソースもお金もなく
どうやったらノベルゲーが作れるのかもわからないのに
くそ厳密に定められたガラケーアプリの納期が追いかけてくるという
まさに死地だったのですが
サバイバーよろしく身を寄せ合ったADVチームが なけなしのスキルと道具を融通しあって
いくつもの嵐を乗り越えて なんとかリリースまでこぎつけた
ということだったと思います
その結果 いくつかの重要なノウハウも得て
なんとか「KEMCO流のADV開発方法」をドキュメントにまとめることができる程度にはなりました
nabeさんが去って 相当に心細くはなったものの
なんとか残った者で「さささ」をやりきることもできそうです
「生き残った」と言える かな と 最近では感じています
ここまで来られたのは 単身の力ではなくチームの力あってのことです
が「自分の力もあって生き残った」実感は とりもなおさず
amphibianにとって とても大事なものだったのだなと 思います
しかしながら
安堵とは次の心配へと一直線につながるもので
今後はどうなるでしょうか?
どうやら「レイジングループ」は思った以上に「いきすぎた」ようです
今後はただ生き残るだけでなく 立派で素敵な生きざまを見せることが大事になるでしょう
無人島の手作りグッズの物珍しさだけでは売っていけず より実用性や芸術性が求められるのでしょう
そんなとき 相変わらずぼろぼろのいでたちで無人島でうんこを叫びつつ
合理的手段や分業を拒絶してDIYをつづける自分は生き残れるのでしょうか
結局はどんな生存戦略を採用するか それに基づいてどういうクラス・ジョブ・アーキタイプに自分を落とし込んでセルフイメージを満足させるか そういうのが人生の主題かもしれないですね
amphibianの現在のジョブは「DIY原理主義ライター」のようです
そのまま生き続けるのか 死ぬのか ジョブチェンジして生き続けるのか 死ぬのか
それにどんな喜びや苦しみが伴うのか
個人的には怖いですが 皆様にとっては他人事ですから
せいぜい面白がっていただければ幸いです
以上です
蛇足
なんでこんなことを思って書いたかというと またExcelのVBAマクロを考えていたためです
次の自分のシナリオあたりで「全文ルビ振り」を実現しようと思っていて
それをVBAでどうにかすべきだろうか と悩んでいます
そういうツールはまあそれなりに見つかるんですが
クソ大量のテキストを食わすと死ぬとか OSのバージョンまたぐと死ぬとか
まあ普通にあるわけです
一般的でない目的のためのソフトをフリーソフト等に依存するとえらいことになるのは
スクリプト一斉置換ソフトのときに大変痛い目を見ていて
そのときにVBAで切り抜けたのが 自分のなかでは輝かしい成功体験だったのですね
「危機を自分で克服した」「自分が生き抜くための道具を自分で作れる」
だから自分は固執しているのではないかとも疑います
現状では 目的に完全に沿っていて ロングサポートが期待できるものがないので
やっぱ作るかなあ という感じですが
「今あるツールを駆使して極力手間を減らしたうえで間を補う」のと どっちがいいのかは不明です
「ライターがやってないでプロにたのめ」というのも 大変もっともな指摘ですが
様々な仕様を検討し 膨大な仕様書に起こす手間もまた相当なものです
そのくせ結局実務で使うものって使ってみて改良しての繰り返しであり
そういうワガママに完璧に応じてくれる神みたいな存在はいまのところうちにはいません(みんないそがしい)
金で解決しようとするとどれくらいかかるか見当もつかない
システムは高いです
よそはほんと どうやってるんでしょうね
ボタン一個でぜんぶ解決するような超絶ツールを知ってたり持ってたりするんでしょうか
無人島の技術が完全にムダで不出来な再発明車輪でしかなかった というオチは普通に考えられます
案外すごいオーパーツだったりすると楽しいんですけどね
おわりです
太字の所で急に真顔になる感すき(真顔)
読んで思うところあり今更ながらのコメントです。
自分も若干amphibianさんに通じる部分があり「ありものと工夫でどうにかする根性」が染み付いていて、
細々とした部分では使えるけど現状仕事の大筋には有効活用できていない(適用が難しい)感じです。
プライベート(趣味)では非常に役立つんですけどね!
その辺りを自覚的に扱っているamphibianさんの考え方を興味深く読みました。
今後またamphibianさんが考え方の節目に立った時には、ここで読んでみたいなーと思います。
楽しく読みました!
amphibianさんのエッセイと関係があるかどうかわからないけれど。
「怖い」という気持ち、子どもはみんな持っていると思います。未知だから怖い。ずっとそう思っていました。周りになにもかもが知らないことばかりだからかと。
またちょっと違う「怖い」があったんじゃないかと感じました。エッセイを読んで「ナイフ一本で無人島で生き残る」というお話を読んで。
世界が自分を必要としないモノやヒトでびっしりと埋め尽くされている!
このことが心底、怖かったなあ。
と、大人になった今、気づいたんですよ。
自分を必要としない人たちだらけで立錐の余地もない。親から愛されているという話とは別で。役に立つという意味での必要に限定した話です。
自分を必要としない大きなせかい。
そこに「ここに自分がいるとちょっとよくない? ねえ、よくない?」と問いかけていく作業。
ずっとそれの繰り返しだったかもしれないあー。と、そんなふうに感じます。
デスゲームの登場人物たちだって、よくよく考えてみれば同じものを根底に持っているっぽい気がしてきます。
たぶんタナトスとエロス(しんりがくてきないみで!しんりがくで!)の形をしているときが、強く強くそのことが顕在化するんだろうなー。
きっと、だからデスゲーム物はおもしろいんですよ。たぶん。
ナイフ一本で無人島を生き残る話とつながっているのかどうか、わかりませんけれど。私のなかではつながっているんだい。
長々と失礼いたしました。なんか書かずにいられなくなり。
自分は他の人に合わせるのが得意な方ではあるけど、逆に自分なりの方法を考えるのが苦手で、論文とか作文とか、そういうのが苦手です。
他人に合わせるって言っても、リーダー格の人を見極めて追随してるだけで何もしてないんですけど。
だから、自分なりの方法を見つけられる人、追求できる人って憧れです。